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今日考えたこと

せんでもよいセックスをすると、何かが減る。

この現象について考えたこと。

セックスするときは、欲情している。そして、欲情すると、普段備わっている論理性とか社会性の割合がすくなくなってしまう。つまり、自分を自分たらしめるもの、普段の自分ではないもの、自分に対する制御がきかなくなってしまう。ちょうど、お酒を飲んで酔っ払ってしまったみたいに。蛭子能収さんが著書でお酒を飲まない理由を、自分が何かに乗っ取られるような感じがするからだと書いていた。これと似たようなものだ。

つまり、せんでもよいセックスをするときは、欲情していて、普段の自分ではないから、自分で制御できない自分がいることを発見し、自分を制御しつつ生きることに自信がなくなる、つまり、自分への信頼が揺らぐのだ。セックスが、せんでもよいセックスと定義されるのは、行為したあと、しらふの状態のときにそのように自分が定義するのが一般的だろう。好きでもないのに、噂になって立場が悪くなるかもしれないのに、なぜせんでもよいセックスをしたのか、と。そこには、自分ではない自分の関わりがある。自分でそれを選択したという実感がない。自分を制御することに対する自信が持てなくなる。自分の中の何かが削れる。ごりっ。

では、してもよいセックスとは何だろうか。たぶん、それを自分ひとりで決めることは難しい。相手からよかったということを伝えられるものなのだろう。そして、相手から伝えられたよかったが、きちんと自分に伝わるためには、自分が相手のことを信頼しているという前提が必要だ。つまり、あの人が言う私に対することばは、本当のことなのだ、と、自然に思えるような相手から。

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幸福と快楽の違いについて。

幸福は長期間に渡りゆるやかに続いていく。快楽は瞬間的に鋭利で続かない。

幸福は相手が人。快楽は相手が人とは限らない。

幸福は自分のまま自分が選び制御可能。快楽は自分ではない何かが自分を乗っ取り制御不能。